富裕階級が自ら耕してつくった庭

シシングハースト・カースル庭園という有名な庭園がある。ヴィクトリア・メアリ・サックヴィル=ウェスト(通称ヴィタ)が、夫のサー・ハロルド・ニコルソンと作りあげたものである。広さは、七エイカー(約二万八千平方メートル)だが、五百エイカーの土地が付属しており、一般に公開され、一九六一年には一万三千人もの見学者があったという。イギリス風コティヂ・ガーデンの代表である。この庭を作ったヴィタは、いったいどのような女性だったのだろうか。

ヴィタは、一八九二年に生まれた。彼女の父は三代目サックヴィル男爵で、ヴィタは子供時代を千エイカーものパークに囲まれたチューダー朝の城で過ごした。教育は家で受け、広く旅行し、移しい数の詩や伝記や小説を書き、ブルームズベリー・グループの人々とも交流を持ち、週末には上流の人らしくカントリー・ハウスで夫婦揃って社交生活を楽しんだ。ただ、子供の養育には、夫妻とも余り熱心ではなかったということである。

こうした多彩な生活の中で、ヴィタは園芸を趣味とした。彼女は深い知識を持っており、自分の手で植物を植えた。それだけではなく、多彩な文筆活動を通じて、その後のイギリスの庭づくりに大きな影響を与えた。とくに『オブザーヴァー』紙には、一九四六年から六一年まで園芸記事を寄稿した。それがまた、さまざまな形で本となり、その影響を抜きにして今日のイギリスの庭は語れないと言われる。

このような例を前にすると、私たちはイギリス人の園芸趣味と日本人のそれとの違いに驚かざるをえない。庭の面積だけの問題ではなく、園芸との関わり方の違いである。ヴィタが恵まれた階級の女性であったことは、間違いない。だが、それ以上にそのような人物が一生を通じて庭と関わりを持ち、自らの手で庭を耕し、栽培することに喜びを感じていたということ、さらにその経験や知識が出版され、一世を風靡したという事実に興味を引かれるのである。ひとつには、園芸がそれだけ世間一般に広く認められていたということであり、また、そこまで趣味にのめり込むことのできる人たちがいたということを指し示しているからだ。

ヴィタの場合、成功の秘密は彼女の育った環境、資産、そして彼女が雇っていた大勢の園丁たちにあると思われる。彼女が子供のころから、先祖代々受け継がれた庭園に親しんでいたことも見逃せない。そうした体験があったからこそ、古風な整形式の庭に自分好みの花を植え、ロマンティックで新しい庭を創造することができた。イギリスでは、ヴィタのように恵まれた園芸家たちが大勢いた。紳士園芸家という人たちである。庭は王侯貴族の楽しみと言われたが、中産階級が富裕になるにつれ、園芸も一般化した。だが、そうは言っても園芸には経済的な裏付けが必要で、それが「園芸は紳士の趣味である」と言われるゆえんである。

紳士の対面を保つための道具立て

日本でも、もちろん貴族や権力者が立派な庭園を残した。日本の庭園文化は誇るべきものである。ただ、日本の場合、庭は造園師に作らせたものだ。庭に所有者の個性が反映されたことは少ないように思われる。第一、庭は鑑賞するべき対象であって、栽培の楽しみを味わうところではなかった。栽培は畑でやるもので、庭は完成したものを、そのまま現状維持することに注意が注がれる。たとえ庭の持ち主といえども、日々、自分で手を入れて自己流の園芸を楽しむなどという在り方は、もともとなかったのではないだろうか。

ところが、イギリスでは庭の持ち主が自分の考えで庭を作り、自ら手を入れて改良につとめるという伝統があった。十七、八世紀には、地方の地主層ジェントリーの間で園芸熱がさかんであった。田舎のジェントリーの生活を描くことでは定評のある、ジェイン・オースティンの小説でそれをみることにしよう。オースティンが一八〇三年に書いた『ノーサンガー・アベイ』という小説には園芸を趣味としているティル二ー将軍という裕福な地主が登場する。彼は菜園づくりが自慢で、温室の装置なども工夫しており「うちのパイナップル園では、去年はたった百個しか実がなりませんでした」と謙遜してみせるほどのマニアぶりである。同じく『マンスフィールド・パーク』という小説には、「土地の改良(インプルーヴメント)」に夢中になる地主たちの様子が描かれている。この時代はちょうど、イギリスの自然を生かした庭園が、イタリア式やフランス式の庭園にとって代わろうとしていた。展望に広がりを与え、イギリスのゆるやかな丘陵の風景を庭に持ち込むことが流行したのである。従って「改良」とは、庭園だけでなく、周囲の景観も含めて自分の「土地」を大規模に模様替えすることを意味していた。

さて、金持ちのラッシュワース氏は、友人が庭を「改良」したのに刺激されて自分もエリザベス朝時代の古い敷地を新しいスタイルに仕立て直そうと決心する。彼はそのために一日五ギニーという法外な料金で、造園家レプトンを雇うつもりでいるが、「改良」を専門家の手に委ねてしまうことに、この小説の主人公エドマンドは批判的である。彼は「改良」そのものに反対しているわけではなく、同じ改良をするなら自分の手でそれをおこない、改良の過程を味わうことに、その意義があるのではないかと言うのである。

オースティンは、金の力で専門家を雇おうとするラッシュワース氏を間抜けな人物に描き、自ら手を入れ、木を育てたいとするエドマンドに読者の共感が集まるように描いている。これは、当時の一般読者の了解でもあったと推察されるのである。

このように庭は、ジェントリーたちのカントリー・ハウスにつきものだった。彼らは年収にして数百ポンドから数千ポンドないし一万ポンド以上に及ぶ懐具合に応じて専門の造園家や園丁や下働きの労働者を雇い、自給自足のための菜園や果樹園のほかに、庭を維持した。それほど大きくない庭でも、最低、園丁一人に手伝いの少年を一人雇ったということである。庭は邸宅と同じで、紳士の体面を保ち、趣味を生かすために必要な道具立でであった。

アマチュアならではの発想が貢献

ところでラッシュワース氏は、年収が一万二千ポンドという設定である。これは貴族にも匹敵する収入だ。そうでなくては、七百エイカーもある広大な土地の景観をすっかり変えるなどということはできないだろう。だが、これほど大規模に園芸を楽しむ人物ばかりではない。この小説にはもっと「慎ましい」園芸家も描かれている。たとえば、クロフォード氏は年収が四千ポンドの地主だが、自分の土地の改良が「たった三カ月」で終わってしまったと残念がっている。また、年収が二千ポンドの教区牧師ドクター・グラントは、牧師館の庭の二部を改修して植え込みのあるしゃれた散歩道をこしらえた。

ドクター・グラントと、その前任者の未亡人、ノリス夫人の間で交わされるアンズについての議論も興味深い。ノリス夫人によればその苗木は七シリングもした、というのだが、ドクター・グラントはその実が少しも美味しくないと指摘するのである。

収入が年に六百ポンドしかないノリス夫人は「小さな半エイカーの庭」で園芸を楽しんでいる。もっと庭が広ければ改良し、植え付ける余裕もあるのだが、と残念そうである。それでも彼女はラッシュワース氏の庭を訪れた時、そこの園丁からヒースと、キジの卵をわけてもらうことを忘れなかった。キジを飼うのも、庭の楽しみのひとつだからだ。だが一家の姪、「貧しい縁者」であるファニーが自由にできるのは、窓辺のジュラニウムだけである。

ともあれ、イギリスの庭は田舎紳士たちの土地と資産なしではありえなかった。もともと彼らは地主であるから、土地の経営や農業の改良には熱心だった。ティル二ー将軍やエドマンドのように、自ら腕を振るうことに喜びを感じる地主が、主流派であったのである。

資産持ちの紳士園芸家は、収入のために知識や技術を利用する必要がなかった。彼らはよい意味でのアマチュアだった。アマチュアならではの自由な発想が、職業園芸家以上にイギリスの園芸に貢献したといえるだろう。

さらに、こうしたアマチュア園芸家たちの教養や学識も見逃すわけにはいかない。ドクター・グラントの例のように、地主には多くの牧師も含まれていたが、彼らの多くは学者であった。だからこそ、趣味で研究した植物学や造園法を書物に書き、世間に広めることもできた。

また、この時代には、園芸家たちの二ーズに応える植物採集家(プラント・ハンター)が世界各地に派遣され始めた。イギリスは気候からいうと、必ずしも園芸に向いているとはいえない。日本に比べてかなり冷涼なため、耐寒性のない植物は冬を越すことができず、木々も葉を落としてしまうので、庭は秋から冬にかけて、殺風景この上ない。園芸家は開店休業の状態である。もちろん、それだからこそ園芸への欲求は逆に掻き立てられ、温室の工夫もあったわけだが、ヨーロッパでは文化は常に地中海沿岸、特にイタリアから入ってくる関係で、イギリスの園芸家たちは自国の気候については払拭しがたい劣等感を抱いてきた。プラント・ハンターたちが熱帯の植物を貪欲に収集してまわった背景には、この国の貧弱な気候と貧弱な植生に対するコンプレックスがあったのかもしれない。

都市生活者の庭と歴史的な名園と

かって日本では英国病などという言葉でイギリス経済の沈滞ぶりが、さかんに取り沙汰された。だが今、日本の園芸マニアたちは、そのイギリスの庭に熱いまなざしを注いでいる。バブルがはじけ、人びとが生活に潤いとゆとりを求め始めだということだろう。自然環境への関心が深まったことも園芸熱に拍車をかけ、園芸や植物に関する情報も増え、大量のアマチュア園芸家が生まれることになった。

日本の園芸が、消費財から文化へと成長する段階に達しているのは、確かである。庭を持ち、草花を育てるということはゆったりとした時間の流れを取り戻すということでもあるのだ。そこで、にわか園芸家たちの脳裏に思い出されるのが、ハーブ花壇と、午後の紅茶をいただく芝生のあるイギリス風庭園というわけなのである。にわか園芸家が憧憬をこめてイギリスの庭に目を向けるのは、庭そのものよりも、庭を舞台に繰り広げられる、精神的に豊かな生活にひきつけられるからだと言えそうである。とはいえイギリスも、最近の庭づくりの現実は日本とさして変わらない。ロンドンや近郊の住宅地では、土地はますます値上がりし、その結果、庭はますます小さくなっていく。都市での庭は小さな中庭か植木鉢を並べたテラスということが多く、これはスペイン風に気取ってパティオと言われている。本格的な園芸を楽しむというより、アウトドア感覚の居間といった性格を持つ都市生活者の庭だ。

郊外の住宅地には本物の庭があるが、それは四角く区切られ、同じ大きさの、同じように四角い庭である。すべてがコンパクトにできており、「日曜園芸家」が園芸雑誌やマス・メディアから得た知識をもとに、全国チェインの店で仕入れた園芸材料を使って、どれも似たような「個性的な」庭を作っている。二十世紀になって大量に出現したサバービア(郊外の意味。軽蔑的に使われることが多い)の庭は、中程度の収入の人たちの庭とみられている。

だが、一九二七年にできた歴史的庭園に関する法律のおかけで、かってジェントリーたちが幾代にもわたって作った庭が、一般に公開されている。そのおかげで、小さな庭しか持てない庶民でも、手入れのよい豊かな庭を満喫することができる。

イギリスでは、昔からガーデン・ヴイジティングという歴史的な名園めぐりの習慣があるが、それは今でも、さかんにおこなわれている。シシングハースト・カースル庭園もその一つで、ヴィタの死後、ナショナル・トラストの管理に移された。イギリスには、こうした庭がとても多い。

(なかお まり イギリス文学・園芸家)

*初出 Aqua 1996 Spring No.16 (積水化学工業 広報部発行)

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