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富士正晴 (ふじ・まさはる 大正2.10.30〜昭和62.7.15) 大正10年2月に三高中退後、大阪府庁などに勤める。復員後、昭和23年10月、島尾敏雄らと 「VIKING」 を創刊、長くその中心的存在であった。代表作に 『贋・久坂葉子伝』 (筑摩書房・昭和31年3月)など。昭和46年11月に大阪藝術大賞を受賞。文人画家としても優れた作品が多数ある。 |
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敗戦の次の年復員して、はなはだこの世が面白くない時期がわたしにあった。その年か、その翌年かよくわからないが、神戸の場末の、まことに貧相な古本屋のたなでこの長編小説を見つけた。もちろんヴァージニア・ウルフが何者であるか、また、この長篇小説がどんなものであるかも知らなかった。 ちょっと開いてはじめの方を読みかけると、たちまち引き入れられてしまった。はなはだ腕力を感じさせるその文体に全くやられてしまった。それは物を直角になぐりつけてくるような小気味のいい連続打撃のような文体であった。その主人公は何百年(いや百年くらいかな)もいきつづける。はじめはエリザベス女王に可愛がられ、詩作にこっている貴族の息子が、やがて成長してトルコ大使になり、暴徒におそわれて突如気がついてみると女性に変わってしまって、女となったまま英本国に帰って来て、結婚までするに至る、しかも少年の頃から何回もとりかかっている詩作品をいつまでもやり直すといった奇妙な物語である。あり得ぬ話であるが、実にリアリティがある。 後になって、デイヴィット・ガーネットの 『狐になった奥様』 をよんで感心し、リットン・ストレイチイの 『エリザベスとエセックス』 をよんで感心したが、 『オーランド』 は正しくこのガーネットの奇妙なそのくせ身にしむ小説とストレイチイの濃厚で微妙なリアリティを感じさせる伝記文学との重ねあわせの上に成り立っていることをさとった。それもそのはずで、この連中はいわば仲間うちであることをゆっくり後で知った。しかしウルフの 『オーランド』 以外の小説は全然わたしのハダに合わなかったようだ。 わたしは 『オーランド』 に火をつけられて、戦後小説を書きはじめたといっていい、というより全くその通りなので、「旧刊紹介」どころではない、「旧刊感謝」そのものである。 (朝日新聞1968年12月11日) 富士正晴著 『書中の天地』 京都白川書院 1976年に収録(p.278) |
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織田正信訳、昭和六年七月、春陽堂発行のこの本は、敗戦後の荒廃した神戸の兵庫区荒田町あたりの古ぼけたしょっぼりした古本屋で見つけて、ヴァージニヤ・ウルフが何者やら、題名が何のことやら判らぬままに、ペラペラと頁をくり、その勇ましい歯切れのいい文体にひきつけられて買った。その文体がヴァージニヤ本人のものか、織田正信の反訳の手柄か、つまり、作者にお世話になっているのか、それとも、訳者のお世話になっているところが多いのか、時々疑問がおこるという奇妙なことがわたしにあり、このほかの織田の訳本を読んでみたいと思いつつ、古本屋めぐりを全然しないために、まだそのようなものにつき当たっていない。知っている方は多かろうとおもうから教えてほしい気もするが、教えられても手に入るかどうか。 この本のことについては、これまでも書いているが、それより後になって、わたしはみすず書房から「ヴァージニヤ・ウルフ著作集」というのが出ているのを知って、目録をとりよせた。しかし、そこに 『オーランド』 は入っておらず、不審であった。その選集の訳者が腕っこきの女性ばかりで占められている(福原麟太郎監修)のに、女性というものを作品生成の焦点に据えているとわたしに思えるこの 『オーランド』 を取り上げていないのが不服であったわけだ。有名な 『ダロウエイ夫人』 とか 『燈台へ』 とか、そういう知識人的繁雑さのあるヴァージニヤ・ウルフの作品は、わたしには面倒であって、 『オーランド』 のみが、ヴァージニヤが女性である故にやたらに気にかかり、訳者陣が女性ばかりであるのに、どうしてこれを取り上げる気にならなかったかが、それもやたらに気にかかった。訳者の女性としての反撥があるのか。 そういうことが気になるから、いったいヴァージニヤ本人はどんな気でこの作品を書いたのかと 思いつつ、いわゆるジンゼンの期間を空しくすごして、やっとこの著作集のなかにあった 『ある作家の日記』 を取りよせて読んでみようという気になった。こういうところ、間抜けということもあるが、怠け者で無駄にうろうろしたり、放りっぱなしにしているジンゼン好みのところもわたしには大いにあるのである。致し方ない。 さて、この 『ある作家の日記』 (神谷美恵子 訳 --何かでこの人の死亡したことを知って、大変惜しがった記憶がわたしにあるが、かんちがいであってもらいたい)の、 『オーランド』 に関する部分(あちこちに散見する)を読んで、やはりこの作品が彼女にとってはぬきさしならぬ重大な、しかも勇敢に立ち向かいたかったものであろうというわたしの直感が的を射ていることを感じて、ますます、著作集にはいっていないことに残念な気持ちというよりはもっと憤りの色合いのある気持ちを抱いたが、それはこっちの都合で、発行社の都合ではないから仕方がない。 ヴァージニヤ・ウルフという、西部劇のヒロイン(カラミティ・ジェーンの知識人版)のような姓名のこの作家は、この作品で、実に深刻に両性を追求しているということに再び感心する。 『オーランド』 の男性時代(前半)には宝塚の男役からにじみ出る女臭さがあり、その女性時代(後半)には女性の尊厳のごときものが屹立してくるが、そこは 『樋口恵子の女性学』 にあったポケットのすくないスカートと、トム・ソーヤのたくさんのポケットの両性論と通じるものがある。 (初出:ウルフ「オーランド」 『海』 1982年5月)富士正晴著 『乱世人間案内 退屈翁の知的長征』 影書房 1984年 に収録(pp.208-210) |
謝辞:故富士氏による上記のエッセイはご子息、富士重人氏のご好意により掲載するものです。また、富士正晴記念館 (茨木市立中央図書館併設)、および影書房からもご協力頂きましたこと感謝申しあげます。無断転載はお断りいたします。
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