清水 一嘉 著
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こうした予約方式を採用したのは、しかし、1923年までのことで、以後はプレスの発展・拡大とともに通常の販売方式、つまり書店経由の方式を採用する。このことは、じじつ上この年をさかいに、ホガース・プレスが私家版工房のわくをこえて、一般の商業出版社の仲間いりしたことを意味している。
1919年に出版された4冊はT・S・エリオットの『詩集』、ヴァージニアの『キュー・ガーデン』、ホープ・マーリースの『パリ』、それにジョン・ミドルトン・マリの『批評される批評家』である。このうち『パリ』をのぞく3冊が5月12日に同時に出版され、マーリースのものは刊記にある1919年とはちがって、実際は翌年の出版であった。そして、4冊のうち3冊はヴァージニアとレナードの手によって手びき印刷(ハンド・プレス)されたもの、他の1冊(『批評される批評家』)は、マクダーモットの「プロンプト・プレス」に委託印刷されたものである。
エリオットの『詩集』の発行部数は225部、定価は2シリング6ペンスで、なかに7編の詩が収録されていた。これらの詩は、のちにレナードが 「ヴィンテージ・エリオット」"(エリオットの最上等のもの)と称賛したものである。当時エリオットは学校教師の職を辞してロンドンのロイド銀行につとめる若き無名の詩人であった。
ふたりがこのような無名の詩人をとりあげたのは、レナードの信念、つまり世評はどうであれ自分たちが出版したいものを出版し、そうでないものは出版しないという固い信念に裏づけられている。出版する価値があると信じたから出版したのであり、それ以外の何ものでもなかったのである。『詩集』は1920年の半ばに売り切れ、それ以後の増刷はしなかった。やがて『詩集』出版の4年後にプレスは同じエリオットの『荒地』を出版することになる。
無名といえば、『批評される批評家』(200部発行)の作者マリも、当時雑誌『アシニアム』の編集にたずさわっていたとはいえ、詩人、批評家として世に知られた存在ではなかったし、『キュー・ガーデン』(150部発行)のヴァージニアといえども例外ではなかった。マーリースについてはなおさらである。
こういった詩や小説を含むホガース・プレスの初期の出版物は、予想されるように世評はあまりかんばしくなかった。 プレスの出版物は他の出版社の同様の出版物にくらべ、「形態、製本のすべてにわたってこれまでとは異質」のものだったのである。表紙ひとつとっても、『ふたつの物語』では、はでな日本のみがき紙が使われ、『序曲』では青い紙、『パリ』では金、青、赤のダイヤモンド模様の紙、『キュー・ガーデン』では黒字に青、褐色、オレンジを手で塗った紙が使われ、それぞれのタイトルは白い紙に赤や黒の文字を印刷した長方形のラベルが貼りつけられている。出版界の常識をやぶる斬新なものであった。
内容についていえば、「作者のいっていることが多くのばあいなじみの薄いもので、したがって(一般の読者には)荒唐無稽で不都合なもの」「理解をこえた馬鹿げたもの」に映った。のちに市販されるようになるっても書店の評判はよくなかった。
しかし、これこそホガース・プレスがめざした出版物であった。表紙の紙には「美しくて、並みのものでなく、ときに陽気な紙」、そして「にぎやかで刺激的で美しい紙」を選ぶことに特別の注意を払い、日本やチェコや世界の各地から気にいった紙をとりよせた。それらは、オーソドックス好みの一般の目には不快に映るものであっても、見るひとが見れば新鮮で好感のもてる装丁であった。ホガース・プレスは時代を先取りしていたのである。そのことは、時代がたつにつれ、プレスがこうした装丁を「はじめて案出した出版社として、以後多くの既成の出版社が模倣するスタイルの端緒をきった」と評価されるようになったのを見てもわかる。出版物の内容についても同様であった。エリオットやヴァージニアがそれ以後に受けた評価については多言を要すまい。
しかし、出版当時の書評はエリオットの『詩集』にしても、マリの『批評される批評家』にしても、けっして好評とはいえなかった。マーリースの『パリ』も同様である。しかし、ヴァージニアの『キュー・ガーデン』はちがっていた。『タイムズ文芸付録』の書評(無署名)はこれを最大限の讃辞で迎えたのである。
5月12日に出た『キュー・ガーデン』は、5月27日にかれらがサセックス州にある田舎の家(アッシャム・ハウス)に休暇で出かけるときには、まだ42冊しか売れていなかった。自分の本の売れゆきについてはとくに神経質であったヴァージニアはこのときかなり悲観的であった。ところが1週間後に帰ってきておどろいた。その間にさきの書評は掲載されていたのである。
かくして、「一夜にして趣味は職業に転じ」、かれらは「ほとんどわが意に反して、出版業のなかにいる自分たちを発見した」のであった。このことはある意味で、さきのマリの『批評される批評家』の印刷を外部のプロンプト・プレスに依頼したとき、すでに用意されていた道であったともいえる。しかし、このときの製本は自分たちの手でやった。したがって、印刷、製本のすべてにわたって専門の印刷業者にやらせたのは今回がはじめてであった。私家版工房からいわば一歩そとへ足をふみ出したのである。といっても、『キュー・ガーデン』の出版とその成功だけをとって、かれらがアマチュアから商業出版者へと脱皮していったと考えるのはまちがっている。「『キュー・ガーデン』は、その気になれば商業出版で成功できることをおしえてくれた」にすぎないのである。--この年の夏、かれらは田舎のアッシャム・ハウスをひき払い、近くのマンクス・ハウスを購入、10月にはヴァージニアの二作目の長編小説『夜と昼』が第一作と同じダックワース社から出版された。