清水 一嘉 著
□目次へ ■は現在地
これを見てもわかる通り、印刷技術はおせじにもうまいとはいえない。しかし、誰にも教えられず簡単な手引書一冊でこれだけのものが印刷できたのだから、かれらの(とくにレナードの)努力は評価されてしかるべきであろう。印刷機購入から2カ月後のことであった。5月から6月にかけて、かれらは処女出版の仕事に没頭した。自分たちの小説を自分たちの手で印刷・出版するという期待がかれらを興奮させた。ヴァネッサ宛の手紙では、「印刷に熱中するあまり、あなた同様農園の羊の番犬とかわりません。ロンドンに出てひとに会う余裕もありません」(1917・5・22 書簡)と書き、じじつこの間、ほとんどの午後を印刷のために費やし、ホガース・ハウスのあるリッチモンドからは離れることはまれであった。印刷は7月までかかってようやく完了した。
足かけ3か月という長い時間を要したのは、かれらが未熟であったことのほかに、あるいはそれ以上に印刷機の問題があった。かれらの買った手引き印刷機では一度に2ページ分しか印刷できない上に、活字も2ページ分ひろえばなくなるほどの分量であったから、まず2ページを組み印刷すると組版をくずし、つぎの2ページ分を組まなければならなかった。印刷が終わるとつぎは製本である。かがり針と糸で本文と表紙を縫い付ける仕事は単調で根気のいる仕事であった。
ともかくも、このようにして総数38ページの小さな本ができあがった。1917年7月出版の『ふたつの物語』である。ヴァージニアの「壁の汚点」とレナードの「三人のユダヤ人」をおさめたこの本は、表紙に明るい日本製のみがき紙を使い、友人の画家キャリントンの木版画を4枚本文中に挿入した(キャリントンには15シリングの画料を払った)。発行部数は150部、申込みに応じた予約注文の数は約100部、発行の月の終わりまでに124部が売れ、2年後には売り切れた。値段は1冊1シリング6ペンス、発行後の注文については2シリングとした。購読者のほとんどはふたりの友人知人であった。発行に要した総経費は3ポンド7シリング、総売上額は10ポンド8シリング、したがって7ポンド1シリングの利益を得たことになる。
3か月のあいだ『ふたつの物語』の印刷にかかり切りであったヴァージニアは、どうやら以前にもまして健康をとり戻したようであった。その証拠に10月からは以後死の年までつづけられる日記を書きはじめた。健康の回復は何よりもレナードの望んだことであった。
ヴァージニアは、すでに第一作の長編小説『船出』(1915)をダックワース社から出版しており、この頃次作の『夜と昼』を執筆中であったが、彼女の執筆態度には息づまるような緊張感がみなぎっていた。その様子をレナードはつぎのように書く。
したがって、印刷機の購入は以前から関心のあったこともてつだい、彼女に恰好の「鎮静剤」を用意することを意味した。というよりむしろ、そのために印刷機購入を思いついたといった方がよい。一種の「作業療法」であった。そして、その効果はどうやらあったようだ。さきの手紙にあるように、彼女の熱中ぶりはロンドンへ出かける余裕がないほどである。ヴァイオレット・ディキンソン宛ての手紙では、「3時間やっていま印刷を中断したところ。あまりに面白くて途中でやめられないくらい」と書いている。彼女の仕事はおもに活字をひろうことであった。