清水 一嘉 著
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![[Leonard & Virginia]](../../IMG/l&v.jpg)
1915年1月25日、ヴァージニア・ウルフは33歳の誕生日を迎えた。この日夫のレナード・ウルフと語らって、今後3つのことを実行に移そうと約束した。その3つとは、ロンドン郊外リッチモンドにあるホガース・ハウスを手に入れること、印刷機を購入すること、それにブルドッグを飼うことであった。
ホガース・ハウスの購入と移転は早くもこの年の5月におこなわれた。しかしふたりがもっとも期待をかけた印刷機の購入はあと2年待たねばならなかった。ヴァージニアの神経の病気が悪化し、その治療に専心しなけらばならなかったからである。病状がようやく快方に向かい、看護婦の必要がなくなったのが11月、翌1916年には友人たちとの交友も旧に復する回復ぶりで、そのころから印刷機購入の夢がふたりの話題にのぼるようになった。そして、その年の終わり頃か翌1917年のはじめ頃かれらはまず印刷術をおぼえなければならないと考えて、フリート・ストリートの印刷学校へ入学を志願した。しかしこの学校は印刷業組合に加入する印刷業者の徒弟だけを対象にし、その数も極端に限定していたので、当然のことながら中流階級のしかも中年の男女が入る余地はなかった。
それからしばらくたった1917年の3月、ふたりは散歩の道すがら、いつもは通らないファリングドン・ストリートを歩いていた。そしてふと1軒の店の前に立ち止まったのである。店の名はエクセルシァ印刷器具店。さほど大きな店ではなかったが、手引き印刷機から植字器にいたるあらゆる印刷器具や器材がところ狭しと並べられていた。かれらは「窓ごしにまるでパン屋の窓の外から菓子パンやケーキを眺める腹をすかした子供のように」それら見入った。どちらが先に店にはいろうといいだしたのかは覚えていない。ともかく一度見るだけでも見せてもらおう。そう思って店内にはいったかれらは、印刷機を目の前にすると、さっそく自分たちの希望やジレンマを店主にうち明けはじめた。店主のこたえは単純明快であった。学校へいく必要はない、自分で印刷術をおぼえることができるというのである。気をよくしたふたりは、店を出るときには印刷機はもちろん、活字チェース(活字の締め版わく)、活字盤その他、印刷に必要な器材一式と16ページの印刷手引書を買っていた。総額19ポンド5シリング6ペンスであった。
4月25日に待望の印刷機がとどいた。翌日ヴァージニアは姉のヴァネッサに書き送った。
![[Press Machine #1]](../../IMG/press1.jpg)
1週間後の手紙(マーガレット・ディヴィス宛)ではレナードの奮闘ぶりが書かれている。
![[Hogarth House]](../../IMG/hhouse.jpg)
ふたりがこの新しい「おもちゃ」に心をうばわれ熱中している様子がわかる。ホガース・ハウスの台所に印刷機をすえ、手引書を唯一のたよりに印刷術の初歩から学びはじめたのである。手引書に書かれている通りにやればなんとかできそうであった。やがて1か月もすれば、簡単な印刷ならできるという自信がついた。そうなるともうじっとしてはおれない。小さくとも一冊の本を自分たちで印刷して製本してみようと思いたったのである。処女出版はふたりの書いた短編小説ということにきめ、さっそくホガース・プレス(ホガース・ハウスにちなんでつけられた)の旗あげを告げる文章を印刷して友人たちに送った。つぎがそれである。