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-CARRINGTON-

Carrington 再会:ライフスタイルと創造空間

by Hiroko Fukushima

私がCarrington(1893-1932)の絵画に初めて出会ったのは1978年のこと、在英中に訪れたオクスフォ−ドの Christ Church Gallery で開かれた Carrington Exhbition であった。彼女の1歳年下の弟 Noel Carringotn が姉の作品と生涯を1冊の本にまとめた限定1000部のCarrington: Paintings Drawings and Decorations (Foreword by Sir John Rothenstein, Oxford Politechnic Press)の出版を記念して開催されたものだった。(ちなみに私の手元にあるものはNo.74 と記してある。) Carrington 最初の回顧展が London で開催されたのは、これに先立つ1970年、Carringtonの没後38年を経過してからのことである。David Garnett (1892-1981) によって編集 ("Biographical Notes"は Noel Carrington による) された Carrington: Letters and Extracts from her Diaries (Jonathan Cape)が出版されたのも同年のことであった。

1978年のオクスフォードでのCarrington Exhibitionでは、出品は30点あまりだったと記憶している。大きなものでも30号程度、映画の中で彼女がイーゼルに向かうシーンが何度か出てくるので、作品の大きさの感じは掴めることと思う。(もっとも印象派、後期印象派の作品がスタジオでの制作よりスケッチを重んじたため、大作とはいえ、サイズ的にはそれ程大きくないのがこの時代の絵画の一般の通念となってはいるが。ただし映画にもスタジオで制作中という形で登場した Mark Gertler(1891-1939)の "Merry-Go-Round"(1916) や Henry Lamb (1883-1960) の"Lytton Strachey"(c.1911) は例外的に大きいことをついでながら付け加えておく。)展覧会に出品する事を嫌い、あくまでも日常の中で、自分の描きたいときに描きたいものを描き続けたCarringtonの作品は、ほとんどが彼女の手元に置かれたままだったり、ごく親しい友人にプレゼントされたりというもので、公的な場に登場することが無かったため、後に制作年代を決定づけることが非常に難しく、どうゆう経路で人手に渡ったのかも跡付けるのさえ難しく、制作した作品数も定かではない。恐らく保存状態も悪く、日の目を見ないまま消滅した作品も数多いと思われる。代表作品とされる "The Mill at Tidmarsh"(1918) は会場の中でやはり一番輝いていた(1917-24年 Lytton と一緒に生活した家を描いた作品で、今回の映画ではこの絵はロケに用いられた家に合わせてアレンジ複製され、部屋の中に飾られていた。ただしエンディングで使用されたものはオリジナルからの映像である。) 赤い屋根はセザンヌの作品を思わせずにはいない。そして家屋を取り囲む緑の木々や茂みのとの補色による対比は見事である。巨匠を意識しながら取り組んだ作品ではあるが、彼女の子供のような自由奔放さが盛り込まれているのに、気付かれただろうか? 絵の前面の川の真ん中に二羽の黒鳥(ブラックスワン)が描かれていることに (注 1)。これは彼女のまったくのイマジネーションの産物で、本来なら一番目立つところに配置されているのだが、家屋が水面に落とす影に呼応する形で構図的にはアクセントにこそなれ、不思議に自己主張しない。この遊びごころと周囲との融和こそ Carrington という人物を最もよく物語っているのではないかと私は思う。複雑に絡まる人間関係のなかで常にバランスを要求される生活、持ち前の無邪気さで絵画に向かうときのみ彼女は解放的気分になれる。それを脇で暖かく見守る Lytton (1880-1932) の包容力こそが彼女の生きる力たりえたのだろう。

映画『キャリントン』のベースとなった Michael Holroyd の Lytton Strachey: A Biography の出版は1967年であるが、当時 Holroyd が Carringtonの人となりを知るために参考する事のできた書物といえば彼女の友人たちが著書の中で断片的に彼女に触れた個所以外では Noel Carrington 編集によるマーク・ガートラーの書簡集 Mark Gertler: Selected Letters (Rupert Hart-Davis,1965) だけだったはずである。実際、Holroydはその後新しく公開された事実を盛り込んで初版の一部を書き直し、1971年に改訂版をPenguin Booksから2巻本で出す事になる。1978年初めて出版された彼女の画集には29点の油絵と素描が10点載っている。長年私の本棚にあって色もすっかりあせてきているが、今回の映画ではこれらの作品は見事に再現されていた。この画集の序文によせてJohn Rothenstein は "...she has been the most neglected serious painter of her time." と結んでいる。20年近く昔、冬のオクスフォードの人まばらな展覧会場でだれが、今日の Carrington の再来を予想しえたであろうか。

しかし、映画解説をみると、脚本と監督を手がけた Christopher Hamptonは丁度この頃から映画化を念頭において準備を進めていたという。実現までに紆余曲折を経て空白とも言える長い時間を要したようである。一昨年の1994年に美術史家 Jane Hills による Carrington 研究の定本とも言うべき The Art of Dora Carrington (Thames & Hudson) が出版された。是非購入して読んでみたい一冊である。さらに昨年は映画公開に合わせてロンドンの Barbican で二度目の回顧展が開かれた。彼女を取り巻く生き証人たちのほとんどがこの世を去り、彼らの生きざまが歴史の中にとけ込み、愛すべき、かつての時代の反逆者達を受け入れる素地が整ったということなのであろうが、今回のスクリーンでの彼女との再会を嬉しく思わずにいられない。

映画全体の雰囲気を作り上げる上で見逃すことのできない装飾芸術についてやはり触れておくべきであろう。日本では William Morris (1834-96)がもてはやされ、Liberty や Laura Ashley のブランドはお馴染みである。映画『キャリントン』ではこういったゴシック美術の流れを汲むアール・ヌーボーのデザインは全く登場しない。不思議に思われた方もいると思う。斬新な色彩のコントラストの壁紙や壁画カーテン、花瓶や食器の陶器から机、椅子、暖炉、ベッド、バスタブ、生活空間の至るところに絵が施されている。Carrrinton が家を借り、内装を一人でやり遂げる姿があった。これこそBloomsbury の精神をバックで支えた装飾芸術であり、従来の英国デザインの伝統に存在しなかったものなのだ。1910年 Bloomsbury Group の最年長で中心的存在であった美術史家 Roger Fry (1866-1934)が友人の Clive Bell (1881-1964)らと共に南欧、特にイタリア・ルネッサンス文化の色濃いスタイルを Post-Impressionism という名で英国に持ち込んだ。1910年と12年との2回に渡ってロンドンで開催された「後期印象派展」の社会に与えた衝撃は神話ともなって今日伝えられている。ヴィクトリア朝の陰鬱な息詰まるような空間(つまり文化そのものも含む)を駆逐して全く新しいライフスタイルのための空間を創造すべく、共鳴した若い芸術家達が Fry のもとに集まった。Carrington もその一人である。映画の冒頭に登場する Vanessa Bell (1879-1961)、 居間のソファで Vanessa の膝枕に気持ちよさそうに身をまかせている Duncan Grant (1885-1978)もそうだ。1913年から1919年の6年間、第一次世界大戦を挟むようにして存在した Omega Workshops こそ Bloomsbury の仲間達を深く結びつけた求心力だったわけである。彼らの日常には書物があり、洒落の効いた会話、熱のこもった議論、友との語らいのうちに心豊かなお茶の時間が流れていった。生活空間から創造空間への転換を担う者は職人ではなく芸術家でなくてはならなかった。彼らはいわば革命家として行動したのである。(勿論Omegaでの受注制作は若い芸術家の生活を支えるという経済的実用面も確かにあったが)映画での前半部分がまさにこの時期と一致する。反戦主義を掲げ、権力には知性で対抗する。芸術家のパトロンとしての Ottline Morrell夫人 (1873-1938)は受け入れるが決して上流階級に追従はしない。彼らの主張は Lytton の行動やセリフのなかにうまく表現されていた。革命の持つ宿命かもしれないが、彼らの装飾芸術は保存ということをあまり考慮していなかった。手作りのものは常に作り変えることも可能だ。高価な素材の家具ではなく、大量生産の安価なものに個性を与えることができるのが芸術なのだ。残念ながら当時の作品はほとんど残っていない (注 2)。数々の資料を元に映画制作のために再びよみがえった彼らの空間が映画空間とはいえ永久保存されることになったのは実に喜ばしい限りである。

最後にもうひとつ忘れてならない事は、Woolf夫妻が1917年に創設した出版社 Hogarth Press の最初の出版物は夫妻の短編集 Two Stories (1917)だがこの挿絵を担当したのは Virginia の姉 Vanessa ではなく、Carrington であった。彼女の手になる4枚の木版画がこの記念碑的書物に収められている。ここで上に載せたものはその中の一つで、"The Mark on the Wall" を飾ったものである。

(03/03/1996)


(注 1)
Holroydによれば彼女の暗い将来を暗示する深層心理学的解釈もあるようだが、制作時期から考えて私はむしろ Roger Fry 的形態美学解釈を採りたいと思う。

(注 2)
現在実際に Omega のデサインに触れられる場所としては、Woolf夫妻の Monks House (National Trust) と最近復元、一般公開されている Charleston Farm House の2か所のみである。あと Roger Fry の Durbins, Surrey があるが、個人所有のためこの限りではない。


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